人は、
「聞きたいように聞き、見たいように見、感じたいように感じる」
生き物です。
私も御多分に洩れずそうです。
ほとんどの人が「自分に都合の良いように」物事を解釈します。
例えば黒木メイサばりの綺麗な女性が自分のほうをチラチラ見ているとして、それを、
「こんな格好してるからだ。。ちゃんとした服着てくれば良かったな」
と思う人もいれば、
「黒木メイサまで虜にしてしまうとは。俺ってやつはつくづく罪な男だぜ」
と思う人もいます。
このどちらもその人がそう思ったからです。
現象は同じなのに。
人それぞれ物事を自分の中に通す際の「フィルター(レッテル)」が違うので捉え方は様々ですし、また人によって受信する「アンテナ(レセプター)」の種類も感度も違うので、本当に様々な解釈が出てきます。
例えば、マジカルバナナで「赤いといったら」と言われた場合、“リンゴ”や“ポスト”や“情熱”など様々な答えが出てきますよね。
これに関しては色々な答えが出てきても何ら問題はない。
「あなたはそう思ったんですね」
で構わない。
ですが板東英二が、「テニスが上手くなるといったら」と言ったらある程度回答が絞られてきます。
「赤いといったら」のときと同じように十人十色で良いというわけにはいかなくなります。
テニスが上達するということに対してあなたが「そう思うこと」と、「テニスが上手になるために必要なこと」はイコールではないことは多々あります。
もう少し正確に言うと、「あなたにとって自然なこと自然に思うことが、テニスの上達において正しいとは限らない」ということ。
もちろん過去の歴代のチャンピオンを見ると、サーブ&ボレーヤーもいればベースラインプレーヤもいます。
厚いグリップでグラウンドストロークを打つプレーヤーもいれば、薄いグリップで打つプレーヤもいます。
ですから上達する方法は一つではありません。
いくつか道が存在します。
ですが、「道が一つしかない」部分、「グレーゾーンが極めて少ない」部分も確かに存在します。
そういった場面ではあなたが「そう思うこと」より、「「テニスが上手になるために必要なこと」のほうに合わせていかなければなりません。
ただしこれは、「プレー中に感じる自分のやりやすさ<テニスの上達」と思っている人の場合です。
「プレー中に感じる自分のやりやすさ>テニスの上達」という人は別に合わせる必要はありません。
ただそういった方は上達が望めないというだけです。
「自分がそう思うこと」と「テニスの上達」が繋がっているというのが理想ですが、「こうすれば上達する」というものが、「自分はそうは思わない」だった場合に選択を迫られます。
「自分」をとるのか「テニス」をとるのか。
ちょっと大げさですが、端的に言えばこういうことです。
じぶんのやりやすさ(と言っても本人がやりやすいと思っているだけで、熟練者から見ると穴だらけということがよくあります)を優先して勝利を目指そうとするのであれば、「そのやり方で突出したオンリーワン」を目指さなければいけません。
個人的にはこういう考え方も嫌いではありませんので応援したいところですが、この場合中途半端が一番最悪です。
テニスを取るのか自分を取るのか。
これは結局テニスを、
「どれぐらい好きか」
どれぐらい強くなりたいか」
にかかってきます。
当たり前のことですが、「テニス」のほうから「自分」に歩み寄ってくれることはないわけで、となると「自分」から「テニス」のほうに歩み寄っていかなければいけません。
ここをよく考えて消化出来ると、今まで見たり聞いたりもらっていたアドバイス達が突然輝き出したりします。
では。
source : テニスとコーチング