2015年12月28日月曜日

努力の種類

セレナ ウィリアムス コーチ プラクティス


「最大限の努力」

「正しい努力」


どちらかをしなければいけないとしたらどちらを選びますか。


質問の仕方を変えます。

この2つに順番をつけるとしたらどちらが先に来ますか。


こう考えればもうお分かりですね。

「正しい努力」が正解です。

正しいかどうか分からない、何処にたどり着くか分からない状態で最大限の努力をするなんて、ちょっと想像しただけで恐ろしいですね。

(始めなければ始まらないというのもありますし、始めたから気づくこと、分かることがあるというのももちろんありますが今回は置いておきます)

テニスで強くなりたい、でも何をしたらいいか何から始めたらいいか分からない。

ここで例えば、

「何のスポーツにしてもトレーニングは必要だもんな、よし、スポーツジム行ってとりあえず筋トレしよう」

となったとします。

テニスに適した種目、またそれらの最大強度や最大回数など皆目見当もつきません。

一般的には「トレーニング=筋肥大」と捉えられがちですので、身体が少しずつ逞しくなることに手応えを感じ、さらに追い込んでいった結果、アックスボンバーでお馴染みのハルクホーガンのような身体になってしまい、テニスに必要な俊敏性、柔軟性、応用性などがなくなってしまい、結果コート上で良いパフォーマンスが出せないという結果になってしまう。。

トレーニングに例えましたが、このような「間違った努力」をしている人は残念ながら少なくありません。

何を隠そう、私もその一人でした。

当時その環境下では可能な限り練習もし、トレーニングも行なっていました。

でも思うような結果が出ませんでした。

引退間際(こんなかっこいいものではありませんでしたが)に、テニスで強くなるための「正しい努力」の仕方の一端を垣間見ることが出来、「そうだったのか、道理で俺が強くなれないわけだ」と愕然としたと同時に、もう少し早くにこれを知っていればという思いが込み上げてきました。

セレナ・ウィリアムス


私と同じような思いを他のテニスプレーヤーにはしてもらいたくない、という思いで現在に至ります。

ではこの「正しい努力」の仕方というのは、どうすれば知ることが出来るのでしょう。

方法は2つあります。

一つは、「テニスとはどんなスポーツか」「どんなプレーをする人が勝ちやすいスポーツなのか(もしくは勝っている人はどんなプレーをしているか)」という問いに対して自身で答えを出し、それに近づけそうな努力の仕方を考える。

もう一つは、上記の質問に答えてくれる人を探す。

もちろん「正しい答えを自分で見つけ、その努力を積み重ねていく」というのが理想です。

これであればもし自分で正しいと思っていた答えが仮に間違っていたとしても、自分で決めたことなので悔いが残りません。

後者の場合はまずそういった人を見つけなければいけないのと、その人の言っている答えが合っているのかという判断が必要になります。

そしてもしこの人の言っていることが間違えていた場合、「なんだよ、せっかく信じてやってきたのに」となりがちです。

強くなっていく人というのは、自分で答えを見つけるにせよ人から聞いたものを実行するにせよ、それ(その人)を「自分で選んだ」という意識があるので、後悔がありません。

一方、「こうしてみなって言われたからやってみた」という人は、それが間違いだった場合人のせいにしたり、後悔の念を抱きがちです。

以前このブログで「自責と他責」といった記事を書いたことがありますが、「自分が強くなるのもならないのも、全ての責任は自分にあると思っているかどうか」ということも努力の種類と関連して重要です。

自分で「やりたい、強くなりたい」と言っておきながら、強くなるまでの過程や決定は人に任せたい。そして結果が出なかった場合は人のせいにする。

そんな他責人間の究極がこれです。



この挑戦シリーズ、最高です。

こういう部分を笑いに変える松っちゃん、最高です。


話が逸れました。

自分で考え、自分で決める。

どんな努力をするのか、どれを取り入れてどれを取り入れないのか、誰にアドバイスを求めるのか。

強くなるためにはこれらの選択を間違えないことです。

コーチというのはいつそういったことを聞かれてもいいよう常に準備しています。

ただコーチも玉石混交、色々なコーチがいますから、その中から良いコーチを探すというのがこれまた難しい。

そんなときは「自分の中の松田聖子」をフル活用し、ビビビと来たコーチを選ぶと良いでしょう。

もしくはそのコーチが持っているテニスに対しての情熱が、「堀北真希を落としたときの山本耕史」ばりなのかを見ると良いでしょう。


強引にまとめると、

「正しい努力を最大限行なう」

「結局は自分」

多くのテニスプレーヤーが悔いのないテニスライフを送れることを願っています。



source : テニスとコーチング