こんばんは
いよいよ5月に突入。
そして世間はゴールデンウィーク
さてさて、5月2日。
亡き妻の誕生日なんです。
存命なら、今年で51歳。
享年43でした。
それ以来、やもめの侘びしい家庭。
税制上、私は「寡夫」と呼ばれるのですが、
「寡夫」と書いて「やもめ」とも読むらしいです
その上、悪評の絶えない父ですので、
息子達にも肩身の狭い思いをさせてしまい、
その影響は色々なところで出ています。
たぶん、彼女が存命だったら、
楽しくて笑顔の絶えない家庭で、
息子達も手足をグッと伸ばして
のびのびと育っただろうに。
子供は親を選べないと、よく言われますが、
今からでも、何とか選ばせてあげたいなぁ。
ソフトテニスの試合を観戦に行くと、
ご両親揃っての応援や
お母様の応援を目の当たりにしますが、、
なんだか暖かくて、うらやましく思います。
毎度決まって評判の悪い父親だけが
ノコノコと現れるウチでは、
ああいった暖かさは出ませんねぇ。
でも、結局性懲りも無く応援に行くのですが、
先週の土曜日に千葉県選手権がおこなわれ、
勇弥が出場したので行ってきました
この大会は、千葉県の天皇杯予選でもあり、
ハッキリと明文化されていませんが、
優勝か準優勝なら切符を頂けるようです。
同年代のペアをと思って
ギリギリまで待っていましたが、
残念ながら上手くいかず。
申し込み期限の直前で、
2つ下の後輩になる
今関選手が組んでくれる事になりました
午前中は、風も弱くてテニス日和でしたが、
午後からは、強い風が吹きました。
一般男子の途中経過です。
勇弥はご挨拶に伺う所があったので、
同じクラブの選手が残っていたのですが、
失礼させて頂きました。
情報では、
優勝は十津川・秋本ペア(市川市役所)
準優勝が齋藤・橋本ペア(昭和学院高)
3位が渡邊・伊藤ペア(木更津総合高)と
菊地・藤崎ペア(市川・成田)だったそうです。
正確な情報は、県連のホームページで御確認下さい
勇弥はBリーグに入り、
初戦は大学生ペアとの対戦でしたが、
何とか乗り切りました。
2試合目が高校生ペア。
話しによると、後衛は昨年2年生ながら
県総体で優勝されて、
インハイでも上位に入った選手だそうです
ここが正念場だと思っており、
勇弥達もそう思っていたとは思いますが、
勇弥は簡単に打ち負けてばかりで
殆ど歯が立たずに敗戦
結局、彼らは準優勝までいきましたので、
やはり相当に強いですねぇ。
天皇杯でも大暴れしてきて下さい
そう言えば、この学校には
雄大の弟の翔大が在籍していて、
雄大は相当に信頼を集めています。
なので、勇弥の事は
「雄大さんの元ペア」って事で有名?になっていました。
もちろん、尊敬されているわけではなく、
むしろ 「こんな奴が・・・」ってな感じでしょうかねぇ
消化試合となってしまった3試合目は、
先に2ゲームを奪ったものの
ここから勇弥のボールが入らなくなり、
4ゲームを連続で奪われて敗戦。
4ペアリーグの3番で終了しました
高校3年生の時も、
この試合に出場しましたが予選落ち。
まぁ、あの時はイップスの症状が
初めて出現した時で、困った困ったでした
大学1年生、2年生、3年生の時には
愛知県選手権に出場して、
16本、8本、16本という結果でしたが、
地元に戻ってきたら、再び予選落ち
急にペアを組んでくれる事になった
今関選手にしてみれば、
先輩とのペアで緊張されたと思いますが、
後輩の頑張りを活かす事が出来ず、
まことに申し訳ありません<(_ _)>
それにしても、4月~5月は大会が目白押しで、
しかも今後の試合の予選を兼ねているので、
ここでコケると、あとが続かないのですが、
どうもこの時期はパッとしません。
占い家業の母の話しでも、
勇弥は1年の中でも4月がもっともダメで、
逆に9月とか10月は悪くないそうです。
確かに、勇弥の好成績は
秋の方が多いような気がします
前述の愛知県選手権も9月末頃ですし、
大学時代に優勝した
愛知県学生選手権やシラサギ杯も秋でした。
ま、泣いても悔やんでも
出てしまった結果は変えられません。
大学1年生の春も、どん底スタートで、
夏には緊急入院の憂き目に遭いましたが、
社会人1年目の春も、
どうやらどん底スタートになってしまいました
しゃーない。 次、いってみよう
source : ソフトテニス 勝手録