「やろうと思っているのにやっていないこと」
「やめようと思っているのにやめていないこと」
私のような凡人にはちょっと考えただけでいくつも出てきます。
「湯船にゆっくり浸って疲れを取ろう」と思っているのに、どうしても面倒臭くてシャワーで済ませてしまったり、「ウェイトコントロールのために間食は控えなければ」と思いつつ、寝る前にじゃがりこについ手が伸びてしまったりと、他にも数え上げるときりがありません。
こういった新たな決断は、大なり小なり始めてもやめてもしばらくすると何らかの変化があるので、3ヵ月ぐらいすると「なるほど、こういうことか」と感じることが多々あります。
その変化を感じるのが楽しくて、以前よりは始めたりやめたりすることが出来るようになりました。
いずれは、
「横断歩道の前で重い荷物を持って待っているおばあちゃんをおんぶして渡れるような人間になる」
とか、
「線路に迷い込んだ子犬を助けるためなら、自らの身体を張って新幹線をも止めてしまうテリーマンのような優しさを持つ」
といった壮大なテーマに取り組んでみたいとは思っていますが、これは一朝一夕でなれるものではありません。
なので今は極々簡単なものから実行しています。
面白いもので、簡単なものでもトントンこなしていくとなんとなく勢いがついて、いろいろな物事がスムーズに運んでいきます。
というより簡単に始められる(やめられる)ものからやるから勢いがつくのでしょう。
テストで簡単で分かる問題から始めるのと近い感覚でしょうか。
これは私の中では雪だるまの土台を作るときのイメージがあります。
「緊急と重要のマトリクス」というのがあります。
1.緊急で重要なこと
2.緊急だが重要ではないこと
3.緊急ではないが重要なこと
4.緊急でも重要でもないこと
これらのどの領域により時間を割くかということですが、4は問題外として(稀にここに時間を割いてしまう人もいますが)1に一番時間を割くというのは異論はないと思います。
問題は2と3です。
ビジネス書などには2に割く時間を減らし、3に割く時間を多くするための仕事術が書かれています。
どうしても「緊急」という名が付くものから片付けてしまいたくなるのが心情ですが、本当は3に時間を割きたい。
でも1や2に時間を割かれ3をする時間がなかったり、つい忘れてしまいます。
私自身、人生という名のマラソンももうすぐ折り返し地点を曲がろうとしていることを考えると、緊急なことより「自分にとって重要なこと」に時間を割きたい。
けど「緊急なこと」が邪魔をする。
冒頭に書いた、湯船に浸かることも、ウェイトコントロールをすることも、テリーマンのような人間になることも、私の中ではすべて「緊急ではないが重要」なこと。
疲れが溜まっている、体重オーバー、テリーマンばりの優しさを持ち得ていない、というのは長い目で見ればリスクです。
何か良い方法はないかと考えていましたが、どうやら私は掃除や身の回りの整理整頓といった、「緊急だが重要ではない」ことを済ませると気持ち良く3の領域に心が向くことが分かりました。
何かを行なうとき、「これが終われば掃除や整理整頓をしなくて済む」状態にあると本来やりたかった3の領域のことに集中出来るようです。
特別なことをしたわけではないのですが、掃除や整理整頓をすると自分で自分を褒めることが出来、ご褒美に「自分の好きなことしていいよ」となるようです 笑
人生の残り時間がある程度見えてきていますので、貴重な時間を「重要なこと」に割きたい。
そこに向かうためのルーティーンが私は掃除と整理整頓でした。
そのおかげでこの本が読了出来ました。
20代で購入してからことある毎に読み返していますが、ピンとくる部分が大体同じで成長していないことを実感させられます 笑
また、これを読む度に「自分次第なんだ」と痛感させられます。
「神よ、我に平静を与えたまえ
変え得ざるものを受容するために。
変えうるものを変える勇気と
その相違を悟るための知恵とを。」
source : テニスとコーチング