2015年11月3日火曜日

認めたら楽になった

四十路 40代


最近やりたいことがありません。

正確に言うと、今現在やっているものの他にやりたいことがない。

20代の頃は「あそこに行ってみたい」「あれやってみたい」という場所やことがたくさんありました。

でも、どれも「だいたい同じ」ということに気づき始めてから一気に行動するモチベーションが落ちました。

若い頃はミーハーな自分がいたのも事実ですし、周りに「遅れてる~」と言われることへの恐怖感もありましたし、もちろん実際にそれに興味を引かれたからというのもありました。

若い頃にありがちな、「情報に踊らされていた」わけですが、途中までまったく気づきませんでした。

自分の意思で行っている、やっている、買っていると思っていましたが、そのほとんどが違ったようでした。

もちろんその当時も何か違和感のようなものを自分でも時々感じていましたが、「そんなはずはない」と自分に言い聞かせていたような気がしますし、一番簡単な、自分で何も考えないで済む「周りに流される」という選択をしていました。

流れについて行かず立ち止まる、もしくは流れに逆らうというのは、当時はとても難しいことでした。

マリア・シャラポワ


でもいつからか、その場所に行くこと、それをすること、それを買うことによる感動や喜びといった刺激と、その場所に行かなかった、しなかった、買わなかったことで得られるものとを天秤にかけるようになっていました。

人間、「心の底から」求めているものに対してリスクやデメリットなど考えない。

「色々マイナスあるけど、それを上回るほどのものがあるんだ」、と言い聞かせたとしても、そもそも本当にそれを欲していればそんな考えは頭に浮かんでこないはず。

こんな考えが頭に浮かんだ時点でそんなに好きじゃないはずなんです。

要は最近、この「心の底から」欲しているものが自分の中から湧き出て来ないことに少し寂しさを感じています。

「あそこ行こうかな~でもな~」
「あれやってみようかな~でもな~」
「あれ買おうかな~でもな~」

の繰り返し。

新たな経験や新たな発見や新たな感覚というのは、年齢が上がるのと反比例して少なくなっていきます。

まあそうなっていくからスムーズに生きていけるとも言えますが。。

自分で意識的に新たなものを取り込んでいかないととは思っているのですが、いかんせんそういったことに一向に足が向きません。

最近足が向くのは、もっぱら今まで生きてきた中で出会った好きなもの達。

テニス、ランニング、読書、映画、オークリーetc.

ここには書けないけど大好きなものが他にもたくさんありますが、イメージもありますし(笑)引かれても困るのでやめておきます。

例えばオークリーなどは、「ニューカラー登場」というだけで車で1時間かけてショップまで色味だけ見に行くことも少なくありません。

サングラスなんて掛けられれば何でもいい、と思っている方からすれば、「ネットで見ればいいじゃん、なんで見るだけのためにそんなことするの?」だと思います。

分かります、そう仰る気持ちもよく分かります、でもダメなんです。

心が求めて止まないんです。

こういうのが他にあといくつか欲しいんです。

ペトラ・クビトワ


昔から多趣味の人に憧れを持っています。

家でぼーっとする暇などなく、「今日はゴルフ」「明日は山登り」といった感じで、アグレッシブに人生を謳歌している人に憧れがありました。

いっとき一念発起して、「外側」から自分をそんなふうに押し込んでみたりもしましたが、こなすことにだけ意識がいき、その時間自体は楽しくもなんともなかったのですぐやめました。

「これがやりたい」
「これしかやりたくない」

はややもすると「それしか出来ない」ともとれる。

昔はこれが嫌だったのでしょう、自分はいろんなことが出来る多才な人間なんだと思われたかったのだと思います。

ですが人生という名のマラソンも折り返し地点に差し掛かってきていることを考えると、そんな好きでも嫌いでもないようなことに時間を割いてるわけにはいきません。

猛烈に心の底から求めているものにこそ時間を注ぎ込みたい。

薄々自分でも気づいてはいましたが、私が「猛烈に心の底から求めているもの」はやはりテニスでした。

以前はこの事実に対して、嬉しいような悲しいような気持ちでいました。

若かりし頃の私は「オンとオフ」をきっちり分けられるのがカッコいい大人と思っていましたから、オフの日に気づくとバックハンドの素振りをしていたり、テニスのことを考えている自分にふと気づいたとき、「俺はオフの日も仕事(テニス)のこと考えちゃうのか」と少し落ち込んだことがありました。

フェデラー バックハンドストローク


そんな失意のどん底に落ちた私を立ち直らせてくれたのは郷ひろみでした。

テレビか何かで郷ひろみが、

「以前の僕はオンとオフを分けて生活していた。でもあるときそのスイッチを切り替える作業のほうが面倒だと感じたんだよね。だからそれからはずーっと“郷ひろみ”の状態でいることにした。そしたらいつも“郷ひろみ”でいるほうが自然になってきた」

と言っていたのを聞いてこれだと思いました。

オンとオフを分ける
オンのみでいく
オフのみでいく

オンとオフをきっちり分けて生活出来る人はそれがいいでしょうし、それが億劫だと感じる人はどちらか一方のみで生活するほうが楽。

でもオフの状態で良い仕事が出来るとは思えないので、分けないで行きたい人は結局常時オンに設定するしかないわけです。

まだまだ郷ひろみの域には達していないですが、少しずつ常時オンでいることに慣れてきました。

だからというわけではないですが、街中で「仕事中なのにオフ」の奴がいると無性に腹が立ちます。

「お前は子供かっ!」
「お姫様かっ!」

このツッコミをいつもギリギリのところでとどめています。

ちょっと話が逸れますが、腹が立つと言えば「朝一の挨拶のテンションがその日その日で違う奴」も嫌いです。

私の理想としては、常に「若干高めのテンション」で挨拶の出来る人がベストなのですが、日によって「この世の終わり顔」だったり、「モテ期到来顔」だったりされると、それにこっちが引っ張られる羽目になりとても面倒です。

だったら終始「この世の終わり顔」でいてくれるほうがまだ全然マシです。

この人はいつも「この世の終わり顔」の人だと認識していればいいからです。

フェデラー ナダル


話が逸れまくってしまいました。

最近ずっと、自分が「心の底から求めているもの」を他にも探そうと思っていましたがやめます。

昔から変わらず今もなお心が求めて止まないものに今後も時間と情熱を注ぐことにしました。

こんな面倒くさい私ですが、これからもよろしくお願いします。



source : テニスとコーチング