現在ボクはアシックス の靴を履いてます。ゲル・レゾリューション6 です。アディダスのバリケードを色々履いて来て2015モデルにするのを楽しみにしていましたが、ずっと気になっていたアシックスに浮気しました。はっきり言って良い です。レビューはまた後日書こうと思っています。
因に名前についているゲルですが、アメリカではジェルと発音 します。日本のメーカーなんだから日本での呼び名が正しい気もしますが、英語の名前と言えば英語ですからねー(笑)。
さて今回の話しは、テニスシューズから離れてメーカー の話し。ご存知の方にとっては何を今更という話しかも知れませんが、逆に全く知らない人(意外に多い)にとっては結構な目から鱗な話し です。
結論から書いてしまうと(といっても既にタイトルで書いてありますが)、今や世界一のスポーツブランドと言えるあのナイキ ですが、元々はアシックスから生まれた会社、 といっても過言ではありません。
アシックスの昔の名前がオニツカタイガー だったことは多くの皆さんご存知だと思います。今は別ブランドとしてお店(残念ながらお店は日本だけ)までありますからね。そのオニツカタイガーの歴史は1949年 に始まっています。
その後1963年 、ナイキの創業者であるフィル・ナイトがスタンフォード大学を卒業する際に日本を訪れオニツカタイガーのシューズに出会います。余りにもの良さにオニツカ社と交渉してアメリカでのオニツカタイガーの代理販売 を始めるためにビル・バウワーマンと共に設立したのがナイキの前身、ブルーリボンスポーツ社 です。
オニツカタイガーの売れ行きは良く1966年 には最初の店舗をここロサンゼルスのサンタモニカ に(Map) 開いています。
その後1968年、2人が独自に製作して売り始めたブランドがナイキです。その際にはオニツカからの技術者を引き抜き、製作も日本の工場 で行われていました。ナイキ社自体の設立は英語wiki だと1971年とされていますが、何故か日本語wiki だと1968年となっています。
この辺までの話しは両wikiにも書いてあるので決してうわさ話ではなくほぼ事実です。ただ、この先の話しはネットをみてもちょっと曖昧で、良く判らない部分なのでボクの推測も入ってます。
どうやらビル・バウワーマンはオニツカをアメリカで売っている頃に、よりアメリカで売れ易い様にデザイン案をオニツカに提供していたようです。オニツカタイガーを契約販売していた頃までは良かったんですが、どうやら契約が切れてからもオニツカがビル・バウワーマンの提供したデザインの靴を売り続けたようで、後に訴訟になりビル・バウワーマンがオニツカから1億数千万円の和解金を手にしたと言われています。そしてその和解金がナイキの設立資金になった、 と。確かに当時の1億数千万はかなりな額ですからねー。
日本人としてはあのナイキが実は日本のメーカーであるアシックスから生まれている、 というのは誇らしい話しですが、少し流れを考えてみると、日本は技術や品質はあるのに、パッケージの仕方は結局アメリカが上手い、 という典型的な実例で、何とも悔しい気もします。ソニーも衰退してしまった今、世界に通じる日本ブランドはトヨタ、日産、ホンダぐらいなんでしょうか。日本の姿勢や技術力はまだまだ確実に世界のトップレベルなんですけどねー。(N)
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source : アメリカ・テニス日記 from ロサンゼルス・カリフォルニア