2015年7月23日木曜日

嫌われる勇気

テニス サーブ グリップ トアルソン 強くなるには


お借りしてさっそく読みました。



「課題の分離」

「ところでこれは誰の課題か?」と考える。

例えば「信じる」ということに関しても、相手のことを信じるというのは「自分の課題」だが、相手が自分の期待や信頼に対してどう動くかは「相手の課題」であって、どうすることも出来ない。


「本当の愛」


「原因ではなく目的」

「AだからB」ではなく、「BでありたいからAが必要」。自分の目的や主観を見直してみる。



「出来事そのものでなく、その出来事にどんな意味を与えるか」


「何があったかでなく、どう解釈したか」


変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」。どちらをとるか。


「可能性の中に生きているうちは変われない」


「客観的な事実は動かせないが、主観的な解釈は自由に動かせる」


「行為より存在」


「能力が足りないのではなく、勇気が足りないだけ」


「肯定的な諦め」



他にも新たな視点が得られる部分があり、面白い本でした。

これ一冊ですべてが解決出来るとは思いませんが、凝り固まった考え方を少しは柔軟に戻せたかなと感じます。



これを読んでいて思い出したことがありました。


若かりし頃、ある方に腕時計をプレゼントされたことがありました。

ですがその腕時計は僕の趣味にはあまり合わず、ただまったく使わないのも悪いと思ったので、時々出掛ける時に付けたりはしていました。

しばらくするとその方に、

「あの時計、使ってる?」

と聞かれたので、

「はい、時々使ってますよ」

と言うと、

「うそ!つけてるの一回も見たことない!」

と言われました。

私は人に何かものをプレゼントするとき、すべてとは言いませんが基本的には「自分があげたいからあげる」というスタンス。

私があげたものを相手が気に入らず、仮に使わなかったり陰で捨てたりしてしまっていたとしても、それは「私の問題ではない」のであまり気にしません。

もちろん残念だなとは思いますが、「あ、こういうのはこの人はキライなんだ」とインプットし、次からはそれを考慮して相手が喜んで使ってくれるようなものを選ぶよう努力はします。

ですので自分がもらったものも同様に考えます。

だからひどいときは、「こういう感じのやつ、俺がキライなのいつ気づくの?」と最低?!の発言をしたことも過去にはあります 笑

この腕時計のときも、「ろくでなし!」的な罵詈雑言を浴びせられましたが、今思えばアドラー心理学からしたら私は正しかったのですね 笑

当時から、こういったことに関しては疑問に思っていました。

「じゃああげたもん勝ちじゃん」とか、「俺の意思とかは介入出来ないんだ・・」とか。

こう言うと、これまた「お前には血が通ってないのか!」的な言われ方をします。

もうちょっと早くアドラー心理学に出会いたかった 笑


こう考えていくと、世の多くの男性を悩ます、女性からの、

「ねぇ、私のこと好き?」

もいかに「課題の分離」が出来ていない発言か分かります。

そもそも・・・、これ以上言うと嫌われそうなのでやめておきます 笑



source : テニスとコーチング