2016年3月4日金曜日
慢心と謙遜の間
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」
孫子の言葉ですが、テニスにも当てまります。
知る順番があるとすれば、テニスの場合は「己」が先で「敵」が後です。
自分は何が出来て何が出来ないのか、まずこれを自分で認識するところから始めなければいけません。
ですが多くの方がこの作業をしないまま、もしくは思い違いをしたままプレーしています。
稀に、出来ているのに自分では「出来ていない」と思っている方もいますが、ほとんどの方は出来ていないのに「出来ている」と思っています。
自分がプレーしているところは(リアルタイムでは)自分で見ることが出来ないのでコーチがいるわけです。
そしてコーチは見えたこと、感じたことを客観的(時には主観も交えて)に伝えます。
「バックボレーが苦手なので攻め急いでいるように見えます」
例えばこう言うと、
「いえ、どちらかと言うとバックボレーのほうが得意です。今日はたまたま調子が悪いだけです」
「今日は風が強いのでちょっとやりにくいだけです」
「太陽が眩しいのでうまく打てないだけです」
「ペアのポジションが気になってボールに集中出来ないだけです」
こんなような感じのセリフを聞くことはしょっちゅうあります。
「出来る」というのはこういった状況でも「出来る」ことを指すのですが、どうも理解してもらえません。
「大丈夫と思っている人はまだまだ、まだまだと思っている人は大丈夫」
という言葉がありますが、自分のテニスをしっかり客観視し、自分の出来ること出来ないことを見極め、「バックボレーがまだまだだな」と自分で思えれば、この人は出来るまで練習するでしょうから大丈夫。
自分をよく顧みず、出来ていないのに出来ていると思っている人は「出来てるから練習しなくて大丈夫」となるでしょうからまだまだ。
とここまで書きましたが、最近は「出来ている」とするレベルが各々違う、もしくはその人と私とで「出来ている」とするレベルに違いがあるのだろうと思っています。(このあたりはすり合わせる必要があります)
でなければ同じミスを立て続けに3回したあとに、「得意です」とは言えないはず 笑
かといって「私なんてまだまだ」と自分のことを過小評価しとけばいいというものでもありません。
面倒くさいですね、強くなるのって。
source : テニスとコーチング