2018年6月2日土曜日

プロを見据えて大学留学中 松村亮太郎のテニス人生 その1Jr前半

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2017 ITA National Fall Championships @ Indian Wells


アメリカではカレッジテニスのシーズンが終わり、選手たちは夏休みを迎えています。完全にゆっくりしている選手もいれば、実力試しや将来を見据えてこれからフューチャーズに出てくる選手もいます。

そんなカレッジ選手の一人でボクが去年初めて出会ったケンタッキー大学の松村亮太郎選手。ジュニアテニスを観ている方はよく知る選手だと思います。短い期間にも色々な話を聞いてきましたが、その辺りをご紹介する前に、まずは彼の、福井県福井市で生まれてからこれまでのテニス人生を、インタビュー形式でご紹介したいと思います。今回はジュニア時代の前半です!


N:亮太郎はどんな風にテニスを始めたの?

R:2歳からテニスには触れていて。両親がどちらもテニスをしていたので。土日に家族みんなでしてた感じです。クラブチームには小学2年生から入りました。本格的に大会に出だしたのはその頃ですかね。


N:クラブチームって聞くと、選手育成チームみたいに聞こえるけどそうかな?

R:いやーそんな感じではなかったと思います笑。ただ近所にクラブチームがあって。そのコーチは今のコーチでもあります。山村好孝コーチです。でも、最初は遊び程度だったと思います。


N:続けたってことは楽しかったんだよね?(笑)

R:僕はテニス始めた時からずっと大好きですね。永遠にしてました。


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山村好孝コーチ All photos below courtesy of Ryotaro Matsumura.


N:2年生から大会に出初めていつごろからいい成績になってきたの?クラブチームに近い年のライバルはいた?

R:最初からいい成績でしたね。多分地域のレベルが低かったのもありましたが。3年で12歳の県2位とかでした。クラブチームではお兄ちゃんが最強のライバルでしたね。


N:小学生の頃の一番大きな思い出は?その頃は練習も、練習試合も、大会も、遠征も何もかもが楽しい感じ?

R:そーですね。もう毎日テニスして毎日のようにお兄ちゃんと試合して毎週のように大会にでてました。好きすぎて、テニス休めませんでした笑。
あと、お父さんが大会に毎週のように県外連れて行ってくれてそこで切磋琢磨した感じです。
思い出というといろいろありますね。一番の思い出は3冠のかかった全日本の準決勝で負けたことですかねw



N:負けた思い出なんだ(笑)。3冠ってなに?色々ある思い出、他にももう少しせっかくなので教えて!

R:小6の時で、選抜、全小優勝ってきててもう一つの全日本取ればいわゆる3冠って奴なんですけど、取れませんでした。
全小のおまけの中国、カナダ遠征、あと冬に行ったオレンジボウルの遠征とか記憶にありますね。全小のおまけの奴はテニス協会の人とオレンジボウルの遠征はJAMで行きました。コキナキスとか、チャンヒョンとかルビンとかいました。



N:小学生の頃から海外に行けるんだね〜。
山村コーチや両親の指導方法は怖かった?(笑)

R:指導方針は全く怖くなかったです。ファイトすれば怒られなかったです。でもなげやりにとか、態度が悪いとかなり怒られました。試合になると守る癖があったのでそこはコーチによく指摘されていました。


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N:小学生のころから日本トップレベルだったのはどこらへんが強みだったと自分で思う?

R:強みですか。やっぱ他の子より走れたしミスは極端に少なかったと思います。あとはゲームセンスはあったと思います。どこに打てば相手が嫌がるか、駆け引きはうまかったんじゃないですかね。


N:小学生の頃、修造チャレンジは?!

R:あー行きましたよギリギリまで追い込まれました。笑


N:中学生になって、小学生から何か変わり始めた?身体は?

R:中1で盛田ファンド選ばれたのでそこから3年はIMGでやりました。カテゴリー移って勝てなくなりましたね。体が弱かったのは大きかったです。筋肉ていうか肉体的にです。ガリガリでしたw。身長伸びたのは15、16くらいですかねー。


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N:IMGでの日々とか大会とかはどうだった?英語なんてゼロだったわけだよね、行った時は。

R:IMGは毎日がきつかったです。なんていうか、そこまで13歳で絶対これで食ってくんだていう覚悟があって行ったわけじゃなかったのでしんどかったです。あと膝も2年くらい痛くて思いっきりできませんでした。英語は全く話せなかったですねw


N:IMGに一緒に行った日本人や周りの強い選手はどんな人がいた?

R:中川直樹とか、西岡とか。ヨッシーは一つ上でしたけど、IMGではいつも一緒でしたその2人と。
周りには色々いましたけど、結局今強いのはチャンとかですかね。ルーミー*でした。ホームシックでしたね奴は笑。てか、プロはみんな強かったですトミーハースとか圭くん、マックスミル。

*ルーミー=ルームメイト


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N:亮太郎は毎日きつくて嫌になったりしなかったの?膝も痛いわけだし。成長痛だったのかな?

R:嫌になるていうか、ゴールがあったのでそれ達成するためのプレッシャーはありました。僕もホームシックでしたよ笑
膝は二分膝蓋骨というやつで、成長痛ではなかったんですけど、ずっと成長痛だと言われて2年間ほったらかしでした。結局それは手術してきっぱり治りました。手術は15ですかね?



N:IMGなのに、俺と同じ診断だったとは!(笑)
IMGでのゴールってランキングとか?IMG生活のなかで得たものとか成長したものは?やっぱり日本での練習とは違った?

R:ほんとですよ。その2年返して欲しいくらいです。
そーですね大会の成績、ランキング、何項目かあります
得たものは、まあテニスはいろいろ迷いながらも上手くはなれたと思います。でもその環境失ってからの方が僕には大事で、いろんな決断とか覚悟とかが定まりました。
最先端の技術とかトレーニング取り入れてるので環境はあそこほどいいものはないですね。合うかどうかは別ですか



N:中学生ごろってちょうど異性に目覚めたりする頃だけど、ずっとテニスに集中して気にならなかった?(笑)

R:そっちの話もするんですね笑笑。そーですね、思春期まっただ中でしたね笑
んーでももうそこにいたらやる事がなくて、全然でしたね。テニストレーニング食べる寝る!みたいな笑



ジュニアの後半はまた次回。お楽しみに!

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source : アメリカ・テニス日記 from ロサンゼルス・カリフォルニア